キリスト教

キリスト教に思うことについて。


近藤秀樹の個人的な信徒信条

三位一体の神はキリスト。
私は三位一体の「何か」。

キリストが大工なら、私は「鳶」一文字。
もし、キリストと同じ時を過ごしていたなら、共にダイスを転がす仲だったかもしれません。

鳶とは大工の手を止めないこと。
それが鳶としてのプライドであり、私のプライド。
キリストは水源で有り、川の淀みを整える者。

私たち人類はキリストの庇護の許に在り、全てはクリスチャンの要素を持ちます。
それがキリストの愛。

此方まで十字架に架かったままのキリスト。
痛々しいお姿ですが、貴方から学んだことは大きかった。
私の中の貴方は既に十字架から降ろされています。
続く方の為に、私は貴方に触れる事が出来ない。

カトリックに通い始めたので、基本的な信条はカトリックに倣います。


三位確立の証

主は云われた。

人は遊ぶ為に生きている。
例え其が論争であっても。戦いであっても。

三位
父、子、聖霊。
子は子のままに、興味があれば遊び出す。
喧嘩となっても、本質は遊びである。

言語に騙されては為らない。
子から第一に授かる言葉に言い訳を重ね、無自覚に肯定しては為らない。
父なる神に伏せ、悔い改めなければならない。
優しさを失ってはならない。
それは子を育て、精霊を育む事。

子からの第一の言葉を無自覚に肯定する事。
それは自分で自分を騙す事に為りかねない。
子は無自覚に成功体験を修める。そこに善悪の判断は無い。
罪人が何故罪を重ねるのかを知りなさい。

内なる父を得、優しさに基づき改め、聖霊を育みなさい。
文才を豊かに、福者を目指しなさい。

美しき遊びの中へ。
聖霊を修め、本当の自由をその手に。


クリスマス

クリスマスはキリストの誕生日。
戸籍云々は関係ありません。

貴方が聖者となり、内にキリストを宿す日。

間違いありません。
クリスマスはキリストの誕生日。

十字を切る事。それは己を捨てる事。
己を捨て、隣人の冬を思いましょう。
冬支度を支え合いましょう。

極寒のロシアの民が生きる理由。
厳しさの中にある人の優しさ。

キリストの生誕を祝いましょう。
そして貴方を祝いましょう。

優しき年の瀬、クリスマスの日に。


妄信者

権威欲しさに妄信を偽る妄信者達。
貴方たちは自分がどれ程の悪害かを知らない。
妄信することで寡黙さをアピールし、後に続く信徒に妄信を突きつける。

帰農せずドイツまで彷徨い権威にすがり付いたルター
プロテスタントは、その生い立ちから破綻している。
免罪符の事実が有ったとしても、カトリックは懺悔や他利を失った訳ではない。

教義を軽視し、父なる神を軽視し、三位の父を修めなければ、精霊の宿りは無い。

ルターは寡黙に見せかけ偽った妄信者であり権威主義者。


小さな隣人愛

キリストから授かった隣人愛、それは小さな隣人愛。
家族・友人・職場。
大きな隣人愛に騙され、人は紛争を続けてきた。

今必要とされるのは小さな隣人愛。
無理に貧国へのボランティア参加したり、世界の平和を護るなど、キリストから授かった隣人愛とはかけ離れている。

地味かもしれません。
刺激もありません。
脚光を浴びることも無いでしょう。
しかし、大切なのは小さな隣人愛。

小さな隣人愛に包まれた村は暦を乗り越え、暦どおりに種を撒き、暦どうりに収穫をする。
そして凍てつく暦には隣人の冬を思い、共に冬支度をする。

今まで培ってきた、当たり前の生活。
小さな当たり前の隣人愛。


個人的な祈り

慈悲深い父なる神よ
私を戒めて下さい
それは行動の前に、言葉の前に、思いの前に

御子イエス・キリスト
貴方は今なお湧き続ける泉
又、淀み無く流れる川でもあります。
私達は貴方という川に寄り添う草木。

彼方から此方まで、そして永久に続くささやかな草木の賑わいを、
今なお生き続ける御子に捧げます。


父なる神の前に、偽りの従順は意味を成さない。
慈悲深い父の前に、告解の恐れは無い。

偽りのために、偽りは生まれ
罪のために、また罪を犯す
それらは、父なる神の祭壇へ。

愛に生を見い出し、愛に殉じた方
御子イエス・キリスト
風に謳う優しい木陰。

私達の宣教は日常にこそ。
ただ御子に殉じた当たり前の生活
偽り無く自らを証すだけの生活


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